山形県(やまがたけん、Yamagata Prefecture)は、東北地方の県のひとつで、日本海に面する。県庁所在地は山形市。県域を地図で見ると人間の顔の形をしている。県の東側一帯で宮城県との境に奥羽山脈、県の西部に朝日連峰がそびえているように、県域の大半を山地が占め、中央を最上川が流れる。県民の多くがこの川の流域に住んでいるため、「母なる川」とも呼ばれている。北西側の日本海上には県唯一の離島、飛島がある。
出羽国の南部にあたる地域。古くは越後国と陸奥国の一部であったが、和銅元年(708)出羽(いでは)郡が置かれ、和銅5年(712)陸奥の国から最上、置賜の2郡を分けて出羽郡に合併し、出羽国が設けられ、庄内に国府が置かれた。県名は、山の近くという意味の町名、山形に由来すると言う。
室町時代には陸奥国の奥州探題・斯波氏が分派して山形に住み着き、地名を取って最上氏と称した。 また、室町時代初期に陸奥国伊達郡を拠点としていた伊達氏が置賜地方に侵攻し長井氏を滅ぼし支配下においた。
戦国時代は最上地方の最上氏、置賜地方の伊達氏(天文の乱の後、本拠を伊達郡から米澤に移した)、庄内の大宝寺氏が割拠した。最上氏は最上義光、伊達氏は伊達政宗の名将が登場し、一大版図を築いた。関が原の戦いにおいては、会津・上杉軍と山形・最上氏との間で激戦が繰り広げられた。(長谷堂の戦い)
江戸時代には庄内藩そして現在の酒田市にある支城の亀ヶ崎城、米沢藩、 米沢新田藩、新庄藩、山形藩、上山藩、(出羽)松山藩(→松嶺)、天童藩、長瀞藩の各藩があった。明治時代の地方区分では、羽前国全域と、羽後国の飽海郡が、現在の山形県に相当する。
近代
1868年 - 戊辰戦争
12月 - 戦後処理として米沢・上山・天童・鶴岡(庄内)・松山の各藩が減封される。
1869年6月 - 版籍奉還後、米沢新田藩が廃され米沢藩へ編入。他の藩は存続するが、鶴岡藩は大泉藩、松山藩は松嶺藩と改称される(鶴岡藩の改称は9月)。
1869年7月 - 酒田県を設置。旧幕府直轄地(天領)および各藩からの没収地などからなる政府直轄地を管轄。
1869年11月 - 長瀞藩が上総国(現千葉県)に移転(→大網藩)。
1870年7月 - 山形藩が近江国(現滋賀県)に移転(→朝日山藩)。
1870年9月 - 酒田県が山形に移転し、山形県が設置される。
1871年7月 - 廃藩置県により米沢県、上山県、天童県、新庄県、大泉県、松嶺県が設置され、既存の山形県とともに7県となる。
1871年8月 - 天童県が廃され、山形県に編入される。
1871年11月 - 山形県(村山郡・最上郡)、置賜県(置賜郡)、酒田県(田川郡・飽海郡)の3県に統合される。
1875年8月 - 酒田県の県庁が鶴岡に移転し鶴岡県と改称される。
1876年8月 - 山形、置賜、鶴岡の3県を統合し現在の山形県となる、初代県令に三島通庸が就任。
1878年 - 郡区町村編制法により村山・置賜・田川の各郡を分割。県内に次の11郡が設置される。
南村山郡、東村山郡、西村山郡、北村山郡、最上郡、南置賜郡、東置賜郡、西置賜郡、東田川郡、西田川郡、飽海郡
1889年4月 - 山形、米沢の2市が市制施行、8町213村が誕生。
1891年 - 県下に郡制をしく。
1933年7月25日 - 山形測候所で40.8℃を記録。2007年8月16日に熊谷および多治見で40.9度が観測されるまで、74年間にわたって国内最高気温であった。
1968年 - 13市27町4村の体制となる。(Wikipedia)
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出羽国の南部にあたる地域。古くは越後国と陸奥国の一部であったが、和銅元年(708)出羽(いでは)郡が置かれ、和銅5年(712)陸奥の国から最上、置賜の2郡を分けて出羽郡に合併し、出羽国が設けられ、庄内に国府が置かれた。県名は、山の近くという意味の町名、山形に由来すると言う。
室町時代には陸奥国の奥州探題・斯波氏が分派して山形に住み着き、地名を取って最上氏と称した。 また、室町時代初期に陸奥国伊達郡を拠点としていた伊達氏が置賜地方に侵攻し長井氏を滅ぼし支配下においた。
戦国時代は最上地方の最上氏、置賜地方の伊達氏(天文の乱の後、本拠を伊達郡から米澤に移した)、庄内の大宝寺氏が割拠した。最上氏は最上義光、伊達氏は伊達政宗の名将が登場し、一大版図を築いた。関が原の戦いにおいては、会津・上杉軍と山形・最上氏との間で激戦が繰り広げられた。(長谷堂の戦い)
江戸時代には庄内藩そして現在の酒田市にある支城の亀ヶ崎城、米沢藩、 米沢新田藩、新庄藩、山形藩、上山藩、(出羽)松山藩(→松嶺)、天童藩、長瀞藩の各藩があった。明治時代の地方区分では、羽前国全域と、羽後国の飽海郡が、現在の山形県に相当する。
近代
1868年 - 戊辰戦争
12月 - 戦後処理として米沢・上山・天童・鶴岡(庄内)・松山の各藩が減封される。
1869年6月 - 版籍奉還後、米沢新田藩が廃され米沢藩へ編入。他の藩は存続するが、鶴岡藩は大泉藩、松山藩は松嶺藩と改称される(鶴岡藩の改称は9月)。
1869年7月 - 酒田県を設置。旧幕府直轄地(天領)および各藩からの没収地などからなる政府直轄地を管轄。
1869年11月 - 長瀞藩が上総国(現千葉県)に移転(→大網藩)。
1870年7月 - 山形藩が近江国(現滋賀県)に移転(→朝日山藩)。
1870年9月 - 酒田県が山形に移転し、山形県が設置される。
1871年7月 - 廃藩置県により米沢県、上山県、天童県、新庄県、大泉県、松嶺県が設置され、既存の山形県とともに7県となる。
1871年8月 - 天童県が廃され、山形県に編入される。
1871年11月 - 山形県(村山郡・最上郡)、置賜県(置賜郡)、酒田県(田川郡・飽海郡)の3県に統合される。
1875年8月 - 酒田県の県庁が鶴岡に移転し鶴岡県と改称される。
1876年8月 - 山形、置賜、鶴岡の3県を統合し現在の山形県となる、初代県令に三島通庸が就任。
1878年 - 郡区町村編制法により村山・置賜・田川の各郡を分割。県内に次の11郡が設置される。
南村山郡、東村山郡、西村山郡、北村山郡、最上郡、南置賜郡、東置賜郡、西置賜郡、東田川郡、西田川郡、飽海郡
1889年4月 - 山形、米沢の2市が市制施行、8町213村が誕生。
1891年 - 県下に郡制をしく。
1933年7月25日 - 山形測候所で40.8℃を記録。2007年8月16日に熊谷および多治見で40.9度が観測されるまで、74年間にわたって国内最高気温であった。
1968年 - 13市27町4村の体制となる。(Wikipedia)
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